最新.6-2『異常事態ラッシュ』


唐児(隊員D)≠フ名字を今回から策頼≠ノ変更しております。


 停戦の合意、そして自由等がクラレティエ撃退してから15分ほどの時間が過ぎた。
 停戦したとはいえ、その報が傭兵団の全隊に伝わるには時間を要するため、第21観測壕跡周辺で展開した増援分隊は、以前警戒態勢を維持していた。先程までは暗闇に紛れて動いていた傭兵団の騎兵が、今はたいまつを煌々と灯らせ、堂々と谷間を行き来する様子が眼下に見える。そしてそんな彼らに対して居場所を明確にするため、分隊も崖際に発炎筒を炊いていた。
「停戦かぁ……何か拍子抜けだなぁ」
 崖の上には策頼と出蔵の姿もあった。乗り入れられた大型トラックの側で、出蔵は呟きながら荷物を手にヒョコヒョコと動き回り、作業に従事している。自由等と別れて後退した二人は、その後に増援分隊へと合流し、今はこの場で自身に割り振られた作業に当たっていた。
「策頼さん、これで最後です」
 出蔵は荷台にいる策頼に向けて言いながら、荷台へ持っていた荷物を置く。
「策頼さん?」
 しかし荷台に居る策頼からの応答が無く、出蔵は訝しく思い再度声を掛ける。
「ん、ああすまん」
 少し間を空けて策頼は出蔵に気が付き、荷台に置かれた荷物を受け取る。
「あの、大丈夫ですか……?」
「あぁ」
 出蔵の呼びかけに、策頼からはそんな生返事が返って来る。しかし言葉に反して、策頼の表情はずっと険しいままだ。
「……」
 その理由は分かっていた。出蔵は次に欠ける言葉を探そうとする。
「アンタら、何を気を抜いてるんだい」
 しかしそこへ、二人へキツめの口調で声が掛けられた。
「あ、易之三曹……」
 出蔵が振り返ると、女陸曹の易之が知らぬ間にそこにいて、策頼と出蔵を睨んでいた。
「まだ何があるか分からないんだよ、ボサっとしてるんじゃないよ。特にそっちのアンタ!」
 易之は特に策頼に厳しい目つきを向けながら叱責の言葉を飛ばす。
「す、すいません」
「失礼しました」
 そんな彼女に対して出蔵は焦りつつ、策頼は淡々とした声で謝罪の言葉を述べる。
「まったく、こんな状況でまでボヤっとしてるとか……54普は本当にだらけた連中のあつまりだね……!」
 しかし二人の言葉を聞いてなお、易之は叱咤を続ける。長身である彼女が威圧的な態度で怒る様は、まるで女頭領といった様相を醸していた。
(うわぁーー、メンドクサイ人だぁーー……)
 しかし対する出蔵は、しつこく説教を垂れ続ける易之の人柄を察し、内心でゲンナリとした感想を零していた。策頼に至っては、説教を垂れる易之を荷台から白けた目で見下ろしている。
「あの、易之三曹。お言葉ですが策頼さんは――」
「言い訳は聞きたくないよ!今がどういう状況か分かってるのかい?」
 事情を知る出蔵は易之の言葉に異議を唱えようとしたが、しかし易之には耳を貸そうする素振りすら見受けられなかった。
「いや、あの――」
「出蔵。いい、ほっとけ」
 そんな上官に出蔵はさらに言葉を返そうとしたが、策頼は自分を庇おうとする彼女を差し止めた。
「えぇ、でもぉ……」
 困り顔で不服の声を零す出蔵。
 だが当の策頼は、眼下で高圧的に振る舞う女陸曹の事など気にも留めていない様子だ。彼の中で未だ消えぬ憤怒の炎は、もっと別の存在へと向いていた。
「いいかい、駄口を叩いてないで手を動かしな!まだ、やる事はたくさん――」
 そんな事は露知らず続いていた、易之の冗長な説教がようやく終わろうとした直前――その異変は起こった。
 それまで捲し立てられていた易之の言葉が、不自然な所で急に途切れる。
「――?易之三曹?」
 その事を不可解に思った出蔵は易之に声をかけるが、しかし反応は無く、彼女はその場で棒ちになっている。かと思った次の瞬間、易之は両手で下げていた自身の小銃を、力が抜けたように地面へと落とした。
「……ロイミ様に従わなきゃ……」
 そして小さく何かを呟くと、彼女は進行方向を180度変え、明後日の方向へフラフラと怪しい足取りで歩き出したのだ。
「え?――ちょ、ちょっと!」
 異常を察した出蔵は、戸惑いの声を上げながらも駆け出していた。フラフラと歩く易之に追いつくと、彼女の体に飛びついてその動き止めに掛かる出蔵。
「や、易之三曹!?どうしたんですか!と、止まって――って、あぁあぁぁ……!」
 だが易之は女としてはかなりの体躯と力の持ち主であり、小柄な出蔵では抑える事もままならず、ズルズルと引きずられてゆく。
「ごっ!?」
 しかし瞬間、ドグッ、っという鈍い打撃音が響く。同時に易之の口から短い悲鳴が零れ、彼女の体がガクリと崩れ落ちた。
「うわぁッ」
 突如崩れた易之の体に引っ張られ、出蔵は驚きの声を上げた。そのまま易之の体共々地面に倒れるかと彼女は目を瞑るが、しかしその前に妙な浮遊感が彼女の体を包み込んだ。
「……?」
 出蔵が目を開いて見ると、誰かに支えられたのか易之の体が、中空で静止していることに気が付く。そして出蔵は易之の体にしがみ付いて乗っかる形となっている。出蔵が視線を上げると、そこに策頼の姿があった。策頼は片手で易之の襟首を掴んで乱暴に支え、空いたもう片方の腕の先には、彼女を気絶させた手刀が形作られていた。
「ふぇ……か、策頼さん。ありがとうございます……」
 出蔵は気の抜けた声で、策頼に礼の言葉を発した。
「どうした、何事だ?」
 そこへ、騒ぎに気が付いたウラジアが駆け寄って来た。ウラジアは現在、2組(ジャンカー1-2)の指揮を取っており、策頼や出蔵も今はその指揮下に入っていた。
「四耶三曹!そ、それが……易之三曹の様子が急におかしくなって――」
 突然の事態に出蔵は自身も困惑しつつも、説明の言葉を紡ごうとする。
「――これは洗脳だ。誉が言ってた、奴らの洗脳攻撃だ」
 しかしその言葉を遮るように、策頼の口から静かな一言が発せられた。
「洗脳攻撃だと?」
「た、たぶんそうじゃないかと思います……。易之三曹は急に武器を捨てて、フラフラと向こうへ歩き出したんです。まるで何かに操られるみたいでした……」
 策頼の言葉に、出蔵は未だに策頼に掴まれたままの易之の体から、おっかない動きで降りつつ補足の説明を入れる。
《1-2、ウラジア応答しろ。1-3香故だ》
 その時、インカムから通信音声が響き出した。相手は少し離れた位置で展開している、3組(ジャンカー1-3)の香故三曹だ。
《こっちの隊員が一名、前触れなく突然倒れた。一応意識はあるが、酷い状態だ》
「ッ、そっちもか……こちらは易之がやられた。出蔵二士によると、突然様子がおかしくなったそうだ。まるで何かに操られているかのようだったと」
《ふっ、そいつはいっつも外面だけ女王気取りで、糞の役にも立たんな》
 香故は冷めた声で、易之を陥った状態を一笑する。
「香故……ッ!」
 香故のその嫌味の言葉に、苦い口調で咎めの言葉を発するウラジア。
「策頼一士がこれは洗脳攻撃だと言っている。おそらく敵が――」
《全ユニット、こちらスナップ31、峨奈!襲撃を受けた、現在別個体の脅威存在と交戦中!》
 起こっているであろう事態の予測を口にしようとしたウラジア。しかしそれを遮り、無線に切迫した声が割り込んだのはその時だった。
「ッ!――31!?」
 慌てて無線を取るウラジア。少し間を置いた後に、通信の続きが飛び込んでくる。
《――ッ、精神攻撃を受け、近子、樫端の両名が無力化された!私も現在、触手のような生物兵器らしき物体に襲われている!
 現状維持は不可能!繰り返す、現状維持不可能ッ!こちらは自衛戦闘行動を取る!至急、応援願――》
 切迫した怒号の通信は、次の瞬間に入った雑音を最後に潰える。
「スナップ31?……おい31!応答しろ!」
 ウラジアは即座にこちら側から無線を開き直して呼びかけたが、しかし向こうからの返答は無かった。
「ッ、なんてこった……停戦と聞いたのに、その矢先にこの事態か……ッ!」
《そりゃぁ、お行儀よく聞く連中だけじゃぁないだろうな》
 苦々しく漏らされたウラジアの言葉に、香故の皮肉気な言葉が返って来る。
「Блядь(畜生)……!香故、無事な者で班を再編しろ!――L1願います、1-2の四耶です」
 ウラジアは香故からの皮肉な言葉には取り合わずに、指示だけを飛ばすと、後方の指揮所に向けて呼びかる。
《L1長沼だ。みなまで言うな四耶三曹、緊急の通信はこちらでも受けた》
 31からの緊急通信は、この場に持ち込まれている中継機を通して、長沼等のいる指揮所にも届いていたようで、長沼からは即座に応答が返って来た。
《四耶三曹、まず君等の所に異常はないか?》
「31からの緊急通信を受け取る直前、こちらも洗脳攻撃らしきものを受けました。一名が自我喪失、一名が体調不良を訴えています」
《二名だけか?他の隊員に影響は出ていないか?》
「該当の二名以外に症状は出ていません。現在、1-2と1-3を異常の無い者で再編中です」
《そうか。今こちらから傭兵隊側に状況と、脅威存在に対する対処法が無いかの確認を取ってる。だが31の状況を鑑みれば、一刻の猶予も無い。そちらから31の救援に向かってもらいたい。危険だが頼めるか?》
「大丈夫です。再編完了次第、向かいます」
《すまない、頼むぞ》
「了――再編急げ。完了次第、前進観測班の救援に向かう!」
 通信を終えたウラジアが指示の声を上げ、周辺の隊員等があわただしく動き出す。
「ひぇぇ、また大変なことに……とにかく私も準備を――って、わぁ!?」
 突然の事態を前に、出倉も呟きながらも行動に移ろうとしたが、彼女の身に大きな何かが倒れ込んで来たのはその時だった。
「むぷぅッ!?ほむっ――」
 それは気絶した易之の巨体だった。易之の体の下敷きになり、パタパタともがく出倉。
「もぷっ……!び、びっくりしたぁ!……ん?――か、策頼さん?」
 出蔵もがいてどうにか顔の上から康之の体をどけ、視界を確保する。そんな彼女の目に、敵方を見据えて立ち構える策頼の姿が映る。出蔵は、その策頼の姿から奇妙な異質さを感じた。


 異常事態に隊員等が騒めき、慌ただしく動き回る中、一人の人物が涼しい顔で立っていた。
 その人物のいでたちは酷く奇妙であり、橙色の作業着と白衣を纏う人物、およそこの場に似つかわしくない姿だ。しかし一番奇妙な部分はまた別にあった。そのような場違いな恰好の人物がいながら、周囲の隊員等は誰一人として、彼の存在を気にも留めていなかったのだ。
 なぜなら、作業服と白衣の人物は、隊員等とは違う場≠ノ存在していたから。
「あぁ、酷いな。第二段階の準備と、ブロックWの最適化に気を取られてる間に、こんな事になってるなんて」
 その人物は周囲を見渡しながら呟いている。部隊の置かれた状況を知り、それを愁いているようだが、台詞に反してその口調と表情は妙に飄々としていた。
「それで、あなたはどうする?」
 その人物はしばらくの間、周囲を見渡していたかと思うと、おもむろに自身の横に居る人物にそう語りかけた。それは他ならぬ策頼だ。作業服と白衣の人物は、策頼のすぐ側まで歩み寄り、興味深げに彼の顔を覗き見る。
「なるほど、やっぱり立ち向かうんだね」
 策頼が作業服と白衣の人物に対して返答を返す事はなかったが、作業服と白衣の人物は何か納得したようにそう呟く。やがて作業服と白衣の人物の言葉を証明するかのように、策頼は静かに、しかし力強く一歩を踏み出し、突き進み始めた。
「いい人だ――友のため、身心が血で染まる事も厭わない……。選んでよかった、あなたのような人は好きだ。だから、あなたの復讐に、私からも力を貸すよ」
 策頼の姿を誇らしげに見ながら、言葉を発する作業服と白衣の人物。そして作業服と白衣の人物は、何かを操作するように、自身の指先を中空で鮮やかに動かした。


「か、策頼さんッ!?どこへ!?」
「策頼、どうした?まさか精神攻撃を受けたか!?」
 突然突き進み始めた策頼の姿に、ウラジアや出蔵が声を張り上げて呼びかける。
「大丈夫。正気です」
 そんなウラジア等に対して歩みを止めず、振り向くこともせずに一言だけ返答を返す策頼。言葉通り、確かに策頼に洗脳を受けたような様子は見られなかった。
 なぜなら、彼のその眼は強固な復讐の意志と、猛烈な殺意に満ちていたから。
「策頼、待てッ!落ち着け!」
 策頼の行動の意図を察し、制止しようと駆け出すウラジア。しかし次の瞬間、突如ウラジアの視線の先の光景が奇妙に歪む。それはウラジアだけでなく、その場にいた隊員全員の目に同じ光景が映っていた。なぜなら、実際に空間が歪んでいたから。そして空間の歪みは、策頼の進行方向真正面に出来ていた。
「え………えええええっ!?」
 そして出蔵が、今だに易之の体に乗っかられたまま、驚愕の声を上げる。空間の歪みが収束すると同時に、それに飲み込まれるように、隊員等の視界から策頼の姿が消えた。


 5分ほど前。
 21観測壕跡と自由等がいる場所のおよそ中間地点。そこにある窪地に三名程の隊員の姿があった。
 彼らは迫撃砲の弾着観測の任務を与えられた前進観測班だ。普通科の峨奈三曹が率い、同じく樫端と、要の前進観測要員たる野砲科の近子三曹が、先程までは窪地に身を潜め、脅威存在がここまで誘導されて来るのを待ち構えていた。しかし脅威は自由等の手により排除され、さらに停戦からその役目は終了となり、今は解除した偽装を片づけ、撤収の準備を進めていた。
「うっへ、とんでもない事になってるなぁ……」
 小銃を構えて監視についている樫端が、少し気の抜けたな声でそんな事を言う。暗視眼鏡越しに先を見る彼の前に、密林のように立ち並ぶ鉱石柱が微かに見えていた。それは他でもない、先程自由等とクラレティエが交戦した際にできた物だった。
「自由さん達、あんなの相手に立ち回ったのかぁ、すごい事するなぁ」
「結局、脅威存在含む一個小隊程は全部あいつ等の方に流れたみたいだからな。おまけにあいつ等はそれを全部蹴散らしたと来た」
 樫端の呟きに応える峨奈。その口調には感心というよりも呆れの色合いが強かった。
「峨奈さん、これで全部です」
まとめた装備を背負い上げた、野砲科の近子三曹が言う。
「よし、下手に接触しないうちに引くぞ。停戦したとはいえ、傭兵側の伝達はまだ十分じゃないだろうからな」
「了解」
 峨奈は両名に言うと、身を潜めていた窪地を飛び出した。荷物を背負った近子もまたそれに続く。
 しかし窪地を飛び出して少し走った所で、峨奈は背後にドサリと何かが倒れる音を聞く。振り返ると、最後に窪地を飛び出した樫端の、地面に倒れている姿が目に映った。
「樫端……?大丈夫か?」
 峨奈は最初、樫端が躓いて転倒したものかと思った。訝し気に思いながら、樫端に声を掛ける峨奈。
 だが、そんな峨奈の耳が、またしてもドサッという音を聞いた。
「え――な、近子三曹!?」
 振り返れば、彼の斜め横に立っていたはずの近子が、地面に蹲っていた。立て続けに倒れた両名の姿に、それが異常事態であると気付く峨奈。
「近子三曹!近子三曹、しっかりしろ!」
 峨奈はまず近子の元に駆け寄ると、彼に向けて大声で呼びかけた。
「あぁ……あ……」
しかし近子は完全に正気を失っていて、その目はまったく明後日の方向を見つめ、わずかに呻き声を上げるのみ。
「ッ――樫端ッ!」
「ぁ……さん、そう……!」
 樫端はまだかろうじて自我を保っているようであり、顔だけを起こして掠れるような声で峨奈の名を呼ぶ。しかしまともに動ける状態ではない事は明らかだった。
「まさか、これは……――ッ!?」
 自分達を襲った事態の正体を察した峨奈が、上空に気配を感じ取ったのはその次の瞬間だった。気付けば、これまで陰鬱な空気を生み出していた雨は止んでおり、夜の闇をより濃くしていた曇天の雲は薄くなっている。
 その薄い雲も風に流されて、月が姿を現した。この異世界の月。この惑星を取り巻く三つの衛星のうちの一つ。
 峨奈は、異様に大きく見えるその月の中心に、逆光で浮かび上がる人影を見た。
「見つけたわ」
 気だるげで不機嫌そうな呟き声と、眼下を見下ろす怒りの混じった冷たい表情。
 異世界の魔女、ロイミ。
 幻想的な――しかし峨奈等からしてみればと禍々さを覚えるその姿を、彼女は月を背景にした夜闇の舞台に現したのだ。
「やはり脅威存在の仕業か――チィッ、よりにもよって偽装を解除した直後に」
 こちらにとって最も間の悪いタイミングで脅威存在が姿を現した事に、忌々し気な声を上げる峨奈。そして、ともかくどう対応するべきかを考えようとしたが、その暇すら与えられず、彼を異様な事態が襲った。
「ッ!?」
 次の瞬間、地面から何かが突き出、峨奈目がけて襲った。
 現れたのは地面から悠に10メートルはあろうかという、樹木のような物体。飛び退き、かろうじて回避に成功した峨奈は、退避した先でその物体を視認し、そしてその姿に目を剥いた。その樹木のような長大な体でありながら、物体は蛇のように体をくねらせ、その先端を峨奈の方へと向ける。よくよく見れば、暗がりでもその表面が草木や鉱物ではなく、生き物のような――端的に言えば肉でできている事が分かった。
 現れ、峨奈を襲ったのは触手だ。
 その正体に驚いたのも束の間、周囲から地面から同様の触手が複数姿を現す。さらに触手の出現は、地面だけに留まらなかった。上空では魔女ロイミの周囲に、複数の小さなワームホールのような物が形成され、そこから同様に召喚された触手達が姿を現した。
「ッ」
 峨奈はその光景に気圧されそうになりながらも、倒れて動くことのできない二人を守るべく行動を起こした。触手と睨み合あった状態のまま、峨奈はジリジリと足を動かし、倒れる二人から距離を離す。触手達は最初、その姿の先端だけを動かして峨奈の姿を追っていたが、峨奈が数歩分の距離を稼いだタイミングで、真正面にいた一匹の触手が、バネのような動きで峨奈に向かって飛び出した。そしてそれを皮切りに地上の、そして上空の触手達が峨奈目がけて殺到する。
「ッ――ぉぉおッ!!」
 その瞬間、なんと峨奈は触手達へ突っ込むように前方へ飛んだ。峨奈が飛び込んだ先は、触手達の間にできたほんのわずかな隙間だ。峨奈は触手達の間のわずかな隙間を見つけ出し、触手達の包囲から脱出したのだ。群がる触手達のど真ん中から逃れた峨奈が着地先で背後を振り向くと、先程まで立っていた場所で、殺到した触手達が団子になる姿が見える。だが塊となった触手の中から、すぐに何体かの触手が這い出し、こちらに向けてその先端を向けた。
「ッ」
 峨奈は小銃を繰り出し、腰だめの体勢で地上の触手へ向けて引き金を引く。撃ち出された弾は触手の群れに命中してその肉に食い込んだが、触手達は怯む様子すら見せず、次の瞬間にはその身を跳躍させて峨奈へと突貫した。
 すかさず横へ大きく飛び、触手達の軌道上から逃れる峨奈。標的を失った触手達は、そのまま峨奈の真横を横をすさまじい勢いで通り過ぎた。二度目の回避に成功した峨奈は触手を横目に警戒しながら、腰に下げた指揮官用無線を手繰り寄せ、その回線を開く。そして無線に向けて言葉を紡ごうとしたが、その刹那、上空に浮かぶワームホールから新たな触手が出現、こちらへ向けて急降下する姿を峨奈の目は捉える。先陣を切る一匹が、降下の勢いのまま峨奈へと襲い掛かった。
「全ユニット、こちらスナップ31、峨奈!襲撃を受けた、現在別個体の脅威存在と交戦中!」
 すでに出かかっていた一言を叫び、そしてほぼ同時に自分の状態を思い切り反らす。直後、襲い来た触手の大蛇のような体が、わずが数センチの距離を掠めた。触手はそのまま行き去り、離れた所で地面に激突し、盛大に土ぼこりを上げた。寸での所で攻撃を回避に成功した峨奈だが、上空には二匹目以降の触手達が降下して来る姿があった。
「クソッ!」
 悪態を吐きつつ、地面を踏み切り位置を変える峨奈。
 直後、背後の地面に触手が激突し、またも土砂が舞い上がる。峨奈目がけて襲い来る触手は、次々と落ちては土ぼこりを上げ、まるで砲撃のごとき光景を作り出していた。そんな中を峨奈は、跳躍を駆使した回避行動でどうにか直撃を逃れつつ、無線に向けて再び叫ぶ。
「――ッ、精神攻撃を受け、近子、樫端の両名が無力化された!私も現在、触手のような生物兵器らしき物体に襲われている!
 現状維持は不可能!繰り返す、現状維持不可能ッ!こちらは自衛戦闘行動を取る!至急、応援願――」
 その時だった。何匹目かの触手が峨奈に向けてその体の切っ先を向け、襲い掛かって来たのは。体を反り、それを回避する峨奈。しかしその直後、ガシャリという金属の拉げる音が彼の耳に届いた。
「ヅッ!」
 腰に付けていた小型無線機に接触したのだ。触手のその攻撃は肉でできた体からは想像できない程に強烈で、峨奈の体にも強い衝撃が伝わる。直撃を食らった無線機は破損しながら吹きとばされ、無残に地面に砕け散った。
「ああクソッ、忌々しい――」
 衝撃に持っていかれそうになった体をどうにか立て直した峨奈。無線機の損失に悪態を吐こうとした彼だが、その前に周囲の変化に気が付く。
 そして彼は別の、いや本来の脅威をその視界に捉えた。
「――!」
 これまでの間、触手に攻撃を任せて上空からこちらを見下ろしていた魔女が、目と鼻の先に迫っていた。
 一匹の触手の先端に立ち、それを操り峨奈の前へと急接近する魔女ロイミ。その光景は峨奈に一瞬、この異世界にふさわしい翼竜に跨る竜騎士を思い起こさせる。しかし触手らしき生き物と、それに乗る冷酷な目の少女は、竜騎士を称するにはあまりに悍まし過ぎた。そんな感情も束の間、峨奈は脅威存在の少女の片手に、不気味な緑色の発光体を確認する。
 直後、その発光体は峨奈に向けて放たれた。考えるより前にそれが危険な物だと五感が警告し、峨奈の体は反射的に後ろに飛び退く。その次の瞬間、立っていた場所に発光体が命中、魔弾は地面と接触した瞬間に膨張、炸裂した。
「ッゥ――……次々とふざけた真似を――」
 攻撃を逃れた先で、足元に視線を向けた峨奈は思わず言葉を漏らす。先程まで立っていた場所は、砲弾の着弾跡のように吹き飛び、土が散らばっていた。しかし峨奈に驚愕に囚われている暇は無かった。見れば一撃の後にロイミは離脱。入れ替わりに数匹の触手がまたも襲い掛かって来る。隙を与えんとする猛攻に防戦一方の峨奈だが、彼にこの状況のまま甘んじる気は無かった。
(触手も魔法も、元たる脅威存在を阻害すれば来ないはずだ――)
 回避行動を取りながらも、推測する峨奈。
 そして何匹目かに襲い来た触手の後に、攻勢の途切れを認める。
(次――行ける!)
 襲い掛かって来た触手を前転で回避。その先で前転の勢いを利用して体を起こすと同時に、小銃を腰だめで構え、上空のロイミへ向けてその引き金を引いた。撃ち出された弾丸はロイミに殺到する。しかし弾が彼女に到達する直前、斜線上に触手が現れた。
「チッ」
 すぐさま位置を変え、再び発砲ロイミに向けてするも、こちらの手はすでに読まれたらしく、触手達は次々集まり、ロイミへの射線を妨害した。そしてうちの数匹が峨奈目がけて突っ込んで来た。
「これでは、ヤツを沈黙させる以前の問題だ……ッ」
 悪態を吐く峨奈。先程、先行班への無線通信で敵に喋らせるなと言ったのは峨奈自身だったが、事の難解さを実感し、自身の言葉を忌々しく思う。
「ッ!」
 だがそんな感情も束の間、急接近する一匹の触手の姿を峨奈は捉える。その上に脅威存在ロイミの姿が見えた。彼女は触手の先端に立ち、こちらを見下ろしていた。
「聞けッ!そちらとは停戦の合意が得られたはずだ!攻撃を中止しろ――」
 峨奈はロイミに対して声を張り上げ、ダメ元と知りつつ訴えかける。距離は決してだ、声が届いていないはずはない。しかし相手は冷たい目線でこちらを見下ろすだけで、聞く耳も持つ様子は見られない。そして直後に、否定の言葉の代わりとでも言うように、彼女はその腕を横に薙いだ。
 腕が薙がれると同時に、彼女の身体の前で七つの発光体が並び形成される。形成された発光体はその瞬間に、それぞれがまるで意志を持っているかのように別々の軌道を描き、峨奈へと襲い掛かって来た。
「やはり聞く耳は持たずかッ!」
 多方から追い込むように襲い来る魔弾に対して、峨奈はそのわずかな隙間を見出し、悪態と同時にそこへと突っ込んだ。
 スライディングで魔弾の間を抜け、回避に成功した峨奈。しかしその先ではロイミが待ち構えていた。触手の上で、再び発光体を放つ姿勢を取る彼女。その顔には、罠にかかった獲物を屠らんとする、加虐的ながらも退屈そうな表情が浮かぶでいる。
 が、そんな彼女の瞳が見開かれたのはその直後だった。彼女の眼に映ったのは、スライディングの姿勢のまま、峨奈の小脇に抱えられた小銃の銃口。そしての峨奈の指がその引き金を引いた。
「ッ!」
 瞬時に危険を察したロイミは発光体の召喚を中断し、触手を自分の前に呼び寄せる。次の瞬間、撃ち出された弾頭の群れは、盾となった触手達により防がれ、ロイミはどうにか難を逃れる。
 対する峨奈は、ロイミが一瞬防勢に移った隙を突き、ロイミと触手の真下へと突っ込み、潜り抜けて彼女達の背後へと抜ける事に成功した。そして背後に向けた小銃の引き金を引きっ放しにし、弾をばら撒きながら駆け、ロイミ達から距離を取る。
「罠と知って踏み込んで来たっていうの……?鬱陶しい真似をするわね……ッ」
 振り向いて背後に抜けた敵を睨み、苛立ちの声を漏らすロイミ。彼女は触手達を操り回頭させると、猟犬を放つように触手達に追撃を命じる。命令を受けて飛び出して行った触手達を見送ると、彼女自身は足場にしている触手を操り、高い位置へと上昇した。ロイミの放った触手の群れの速度は速く、ものの十数秒で峨奈に追いつこうとしていた。
 先頭に位置する峨奈の背中を追って迫る触手達。しかし次の瞬間、触手達を爆発が襲った。峨奈は駆ける途中に、ロイミが視線を外している際に、手榴弾を二個背後に転がしていた。それが炸裂し、有効範囲に突っ込んだ触手を、爆風と破片により吹き飛ばしたのだ。峨奈は弾倉の交換を終えた小銃を、迫るロイミに向けてフルオートで弾をばら撒いた。

「ふん」
 触手を何匹か無力化され、忌々し気に零したロイミは、眼下で敵がお得意の不可解な武器を繰り出す姿を捉える。そしてその武器からロイミ目がけて無数の奇妙な鏃が撃ち出された。しかしロイミは追従させたいくつかの触手を優雅に飛び移り、それを回避。
 多くの鏃は空振りに終わり、ロイミを進路上に取られた弾も、彼女を取り巻く触手に防がれる。敵の攻撃は少しの間続いた後に途絶え、ロイミは攻撃の途絶えた瞬間に、いくつかの触手を纏わせ、足場にしていた触手を飛び立った。自身の周囲を触手に守らせ、峨奈の背後へ鉱石針を発生させて多数撃ち込み、退路を塞ぐ。
 敵へ肉薄を掛けるロイミ。そんな敵がなにかを投擲するのが見える。
「頭が悪いわね、二度も同じ手を食ってあげると思って?」
 物体が見えていれば対処は造作も無い事だった。伸ばして先行させた触手に、投擲された物体を弾かせる。遠ざかる投擲は爆ぜてもロイミに傷はつけられないだろう。
 しかし夜闇に打ち返された物体は、次の瞬間爆ぜ、殺人的なまでの閃光を放った。
「ッ――!?」
 咄嗟に顔を伏せ、直視こそ間逃れたものの、強烈な閃光はロイミは視界のほとんどを奪った。攻撃を中止し、脚を着くべく触手を呼び寄せるロイミ。
 しかし、各感覚を大きく狂わされていた彼女は、触手への着地に失敗し、その足を滑らせた。
「ッ!しまっ――」
 そのまま重力に引かれ、ロイミの体は落下する。
「ロイミ!」
「ッ!」
 しかし彼女を呼ぶ声と共に、彼女の身体は突然の浮遊感に包まれた。閃光により姿をうまく確認できないが、声と、触れ合う体によりそれがリルであると分かるのは容易な事だった。
 そしてロイミはリルの助けを受け、夜闇の中へとそして飛び去った。

「………チッ」
 舌打ちをし、脅威存在の落下の瞬間を狙おうとしていた小銃を降ろす峨奈。突如飛来した別の人影が、脅威存在の体を支えて飛び去ってゆく。周囲に蠢いていた触手の群れも、主を追って引いていくのが見える。
 舌打ちをしては見たものの、内心で脅威存在の撤退に安堵した彼は、警戒を保ちつつも倒れたままの近子や樫端の元へ向かった。

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